銀行などに代表される低金利の金融機関から融資を受けられなくなった顧客が総じて「ブラック」と呼ばれます。
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という故事成語がありますが、これは、ブラック融資についての言葉であると考えることも可能でしょう。
超ブラックでも借りれる、ということは「審査の基準」が途方もなく甘いということであり、それは「融資が易しい」ということです。多くのブラック融資者は「易きに流れ」ます。
超ブラックでも借りれるという容易さによるリスク
「低い場所に流れる水=ブラック融資が可能な機関」になればなるほど、「融資の審査基準は易しく、借りやすくなる」というのが、金融業界の特徴です。
そうなりますと、「審査基準が極端に甘く、超ブラックでも借りれるのであれば、低いところを流れる水であるところの易い金融機関は最高なのでは?」と考える人があらわれるかもしれません。
ですが、このような考えを持つと非常に危険です。なぜなら、金融における「低い場所を流れる水」が、その極端な「人が流れる易しさ」のかわりに設定しているリスクは、あまりにも大きいと言わざるをえないからです。
ブラック融資が低金利を求めるのは愚の骨頂
その審査基準が易しくなるほどに大きくなるリスクが何であるかというと、それは「金利」にほかなりません。審査基準は、それが甘くなればなるほどに、「金利」を大きくします。
「超ブラックでも借りられる」という「低い場所に流れる水」のような金融機関において「低金利」ということはまずありえません。
「超ブラックでも借りられる」という審査基準にまで流れ落ちてしまったのであれば、「低金利」は諦めなければなりません。
ブラック融資者でありながら「低金利」を求めるのは愚の骨頂です。ブラック融資者は、自分が流れ落ちた低くて易しくて危険な場所をまるで自覚していないということをまずは知りましょう。
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